里山 それはどこか懐かしい響き 知っているようで 知らない
知らないようで 親しみのある場所
里山とは どこにある どんな場所なのか
田んぼに畑、小川やあぜ道、どうやら特別なものではなさそうです。でも、記憶や体験を語ってくれる人々のお話に、なぜか引き込まれていきます。さっそく、お一人目のお話をきいてみませんか!
岩間敏彦氏に聞く 第2回
里山を残してゆくには
―エネルギー転換とともにそのほとんどが廃れてしまっているという里山ですが、日本の国土の何割くらいを占めているのでしょう。―
日本列島に目の細かさが10km四方の網をかけたら、その約4割に里山が存在するといわれています。里山がカウントできないところと言ったら、富士山などの山岳地帯や、湖の上、大きな海、大都市くらいでしょうね。
―約4割もの土地に里山が存在するのに、私たちの里山への認識はとても薄いと感じます。都市に住む私たちが里山を意識し続けられるようにするためには、どのようなことが必要なのでしょう―
里山の文化、生活をどこかで残しておこうとすることが大切だと思います。たとえば日常生活で薪や炭を利用するのことはあまり現実的ではありませんが、紀州備長炭のように希少価値が出ている例があります。また、里山から生まれた工芸の漆も、産地である木曽地方でさえ合成漆が使われているようですが、地元で取れた本漆が価値を高めながら残っています。このような希少価値でもいいから、現在残っている里山の文化や生活を残していくことが大切だと感じています。そうすれば、またどこかで復活させることができるかもしれません。
2011年3月11日東日本大震災
―危機的な状況にある里山に、震災はどのような影響を与えたのでしょうか―
先日、被災地に行ってきましたが、とても残念でなりません。海水に浸かってしまった田畑は耕作できず荒れたままですし、原発に近い地域でも手が入っていない場所がいくつもありました。おそらく作付しても売れないかもしれないということが分かっているからでしょう。3.11の震災、原発事故の後、本当に日本は変わってしまいました。福島県に、無農薬で美味しいお米を作ろうと頑張っている人々がいましたが、そういう人たちの努力も台無しになってしまいました。原発の問題は、エネルギーだけではなく、食と密接にかかわっていて、私たちの生活そのもの、生命にかかわる大きな問題です。
「経済発展のためには原発が必要」という人が多いようですが、原発事故で私たちはたくさんのものを失いました。子供の健康、安全な食べ物などですね。原発に近い地域では、地域の人たちが散り散りに避難し、コミュニティーさえ失われています。
南相馬市では、津波などの被害から逃れられた一つの小学校に、被災した小学校がいくつも集まっていました。勉強が満足にできないばかりか、体育の授業も体育館でしかできません。それに外に出るときにはマスクをせずにはいられないほど、子供たちが大変な被害を受けています。
里山の新しい価値
―一刻も早く原発事故が収束してくれると良いのですが…。被災地で頑張っている子どもたち、また次世代に向け日本の財産である里山を残してゆくにはどんな方法があるのでしょうか―
何よりも里山の必要性、新たな価値を生み出すことです。例えば「里山物語」(中越パルプ工業(株)による寄付金付きペーパー)による第一回目の支援先となった、里山を利用した子供のホスピス「海のみえる森」です。ホスピスといっても終末医療の場でなく、難病のお子さんやそのご家族が、休息のひとときを過ごす場所です。このような場所は、社会的にも求められているんですよ。
また、ソーシャルファームのように、障害を持った人々が自立をして働ける場所としても里山が活用されています。その他にも里山を活用した保育施設なども考えられます。これらの施設が各地の里山で動き始めれば、里山の新しい価値が生まれて、里山の必要性もぐんぐん高まると思っています。
―里山を活用したソーシャルファームはいくつもあるのでしょうか―
無農薬で育てた野菜やお米を販売するなど、少しずつ広がっています。「里山物語」による第二回目の支援先もソーシャルファームなんですよ。三重県に「赤目の森」という里山を活用したリゾート施設があり、その運営団体が、障がい者の就労支援も行っていることを知りました。里山から伐った木をペレットにして販売しているそうです。その施設に問い合わせたところ、木材を乾燥させる設備を必要としているとのことだったので、先日、建設物資を支援しました。
―里山の材を活用してペレットを作っている施設が、第二の支援先となることで、より目指している方向への理解が深まりますね。―
私たちは里山整備を効率化させるための支援を行う団体ではありあません。里山を守ったり再生させるためにはどうすればいいのかを考え、里山の新たな価値を作り出していく団体です。ですので、「作業が楽になるように、チェーンソーやノコギリを差し上げます。」というのではなく本当に必要とされていることに対して積極的に応援していきたいと思っています。
―ところで、「里山物語」の支援先として、第一回では「海のみえる森」にピザ窯が贈られましたが、その後も継続的な支援を行っているのでしょうか―
はい。運営団体の方々が里山に詳しくないので、私たちが里山再生のボランティアリーダーを務める形で里山再生をお手伝いしています。「海のみえる森」の方々や、森林整備の専門家とともに計画を立てた上で、ボランティアの方々を募って再生作業を進めています。そのほかにも、ゲストを受け入れる際には、ゲストのアテンド役や、ピザ窯を担当するなど、色々とお手伝いしています。
―ピザ窯は活躍していますか―
もちろんです。ピザ窯の役割はとても大きいですよ。間伐したり朽ち果てた木を燃料にして利用できるだけでなく、ゲストのみなさんにとって、ピザ窯で手作りの美味しいピザが食べられるということが、思いがけない楽しみになっているようです。里山保全再生ネットワークの活動フィールドの一つとして、今後も継続的に支援をしていきたいと思います。
日本はそこいらじゅうが里山といっていいほどの国土なんですね。その里山を作りだしたのは私たち日本人ですが、この身近な環境をみるみるダメにしてきたのも私たち日本人なのですね。しかし今、その価値が見直されています。では、身近であるはずの里山が、まだ今ひとつピンとこない私たちはどうしたらよいでしょうか。次回は、そんな悩みにアドバイス!
NPO法人 里山保全再生ネットワーク代表 岩間敏彦氏に聞く・・・2 おわり
☆ 岩間氏インタビュー 第3回目はこちら!